この頃何か変

 年が明けて気が付けばもう4ヶ月が過ぎてしまった。光陰矢の如しというが、年を重ねれば重ねるほど月日が流れは加速する一方。この4ヶ月間ブログを更新せずに終わってしまった。なぜか?その理由は簡単。書けないのだ。ここ数年日本や世界では今までの価値観では理解できないようなおかしなことが起こっていたが、年が明けてからは、それがさらに加速し、混沌とした時代に突入しているように感じる。おかげでこれまで正しいと思っていた価値観が壊れ、人生観にまで影響を及ぼしている。その結果考えがまとまらず、書きたいことも、何を書いたらいいのかもわからなくなってしまった。
こんな時はどうするか?

原点回帰するしかない。人は何のために生まれ、何のために生きるのか?そのためには先人の知恵を借りること、哲学、歴史、教育、文学、社会、倫理、自然科学などあらゆるジャンルの本を読んで、知識と意識の再構築をして頭の中を整理整頓してみること。
その結果おぼろげながら見えてきたこと
孤立から来る孤独、現代は、ネットで世家中とつながることができ孤独ではないはずだが、それは表面だけのこと、不特定多数とつながることにより、逆に心を許すことができなくなり、かえって孤独になってしまう。虚構の世界で生きていて虚しさばかりが大きくなる。その結果幸福感が失われてゆく。幸福感を得る近道は物質欲を満たすこと。そのためにはお金が必要になる。ところが今の日本コストプッシュ型インフレで、収入は増えないが物価はどんどん上昇する。結果、幸福を手に入れるためにはお金が必要。結局お金があれば、幸せも人の心も、命も買えるという錯覚に陥ってしまう。お金持ちは勝ち組、貧乏人は負け組という構図が出来上がる。これって資本主義の成れの果て?いかに効率よく楽に稼ぐか?気が付けば最近は農林水産業をはじめとする第一次産業が減り、手数料や差益で稼ぐビジネスが増えている。これでは国は衰退し人は疲弊する一方だ。極度な拝金主義的、唯物主義的ではないか?
なぜそうなってしまったのか?
それは特にコロナ以降、心と心のコミュニケーションが希薄になってしまったからではないか?人は会って話して心を通わせて初めて信頼関係が生まれる。それは家庭でも学校でも職場でもどこでも言えることだ。その人と人との深い関係がコロナとネットの目に見えない圧力で分断され、意味不明の多様性、まやかしの自由と平等、冷たい優しさという奇妙な新しい価値観の社会が醸成され、その結「こうあらねばならない」「こうあるべきである」という果威圧的空気感が充満し、私たちは孤独感とあきらめ感を持ったのではないか?多くの人たちが、現場で感じている「何か変」がまさにこれだと思う。
少し前に「生きづらい社会を生きるために」というキャッチフレーズのポスターを見かけたことがあるが、私からすれば「馬鹿言ってんじゃないよ!生きづらければ生き良い社会を作ればいいだけの事だろ!なんで甘んじて生きなければならないんだ!」となる。「社会に甘んじて自分から落ちて行ってどうするんだよ!なんでこんなに弱くなってしまったの?」すごく憤りを感じる。
ではどうすればいいのか?
昔から「お互い様」「持ちつ持たれつ」という言葉があるように人は一人では生きて行けない。みんな助け合って生きてきた。個人主義やバーチャルの世界を捨てて、家族、職場、学校、地域の共同体(自治会、PTA)といった身近なところから、SNSではなく会って話し合う時間を多くとり、心を許し合える信頼関係を再構築し仲間意識を高めることが必要なのだ。
昔から私たちは「お天道様が見ている」「星に願いを」という言葉があるように自然とともに生き自然からの恵みを享受し、自然に畏敬と感謝の念をいだき、そこに目に見えない大きな存在を感じて生きてきた。人も自然の中の一部、心の原点だ。自然に溶け込むことによって、落ち着き和み癒され、生きる活力をいただくのだ。だからときには自然に帰り、物質にまみれた心や体を浄化することが必要なのだ。
この二つのことを取り入れ、あきらめず希望を持つことで、孤独から抜け出し必ず気力がわいてくる。

まだ、頭の中全然整理できていないが、今思っていることを書き散らしてみた。これからもっと感じたことを書いてみたい。

2025年04月29日